超越仏教

如来が説く「幸福な人生の実現」

定 義 集

🔵ドゥッカ

不安定さ・不完全さ・苦しみ・悩み・憂い・難儀さ・迷い・心痛・嫉妬・憎しみ・恐怖・哀しさ・悔い・飽き・退屈・儚さ・脆さ・弱さ・空虚さ・惨めさ・実質のなさ・不満・怒り・不本意・無常さ・無明・欲・渇きなど

 🔵所有の次元の事物 

金銭.財産.物欲.地位.名誉.称号.身分.異性.伴侶.家族.仲間.権威.権利.承認.理解.権力.勢力.威力.健康.長寿.若さ.知識.情報など

🔵存在の次元
人間性.精神性.人格.人徳.人の質.人柄.器量.寛容さ.実直さ.知性.存在感.本質的性質など

🔵真実を歪めるもの(色フィルター)

思い込み.勘違い.欲目.偏見.邪見.固定観念.既成概念.錯覚.誤解.無知.主観.感覚.感情.洗脳(染脳)など

 

 

グリーフケア

グリーフケアとは】
《グリーフ(grief)は、深い悲しみの意》身近な人と死別して悲嘆に暮れる人が、その悲しみから立ち直れるようそばにいて支援すること。一方的に励ますのではなく、相手に寄り添う姿勢が大切といわれる。
近しい人を亡くし悲嘆にくれる人を癒やすため、心を解放し気持ちを整理する場を作る試み。先進地の米国の例を学んだ宮林幸江・自治医科大看護学部教授らの活動で、2000年代以降に日本に広まった。現在は各地の病院や市民グループが取り組んでいる。
●病は気からと、言われるように[気]というものが人の[幸不幸][運命][健康][長寿]にとって実に重要な要素なのですが、世の中の殆どの偏った見解.観念.思想.新興宗教などは.此の[気]というものと[意]との誤認識により成立しているのです…
●何故、新興宗教などが何故、大きな勢力となってゆくのか?と考えた時、それだけ世の中には無明で愚かで欲望に捉われた.苦しみ.悩み.怖れ.不満.不幸.不安定(ドゥッカ)に翻弄されている人間が多く居るという事でもあるのです…
●宗教や信仰もグリーフケアの側面をもち.一つの要素とも捉えられるが、宗教や信仰の存在目的は似て非なるものであり、宗教者や信仰家がグリーフケアを目的と捉え主張するのは詭弁ないし無知か作為に他ならない。
それは暗夜行路を手探りで盲目的に生きているような無明な人の一時的な手摺(拠り処)とはなるが、決してその無明の闇を晴らし、照らし出された真実(現実.事実.真理.実相)の世界を生きる術としての要素ではなく、飽くまで緊急処置に過ぎない事を自覚できずグリーフケアに依存して根治治療.回復手術をしなければ、虫垂炎でも痛みを散らす事に専念して手術をしなければ病根を却って悪化させ.やがては腹膜炎で命を落としてしまう事になるように、グリーフケアという緊急処置は近親者や世俗にまかせて、宗教や信仰は患いや病の根治治療を目指さなければならない。

自由な世界

すぐ横に.自由で穏やかで美しい安らぎの天地があるというのに、何故に多くの人は心の牢獄に捕われた囚人生活のまま.自由な天地を見る事も味わう事もなく心の牢獄の中で.大切な一生を終えてしまうのだろうか…

その心の牢獄は.自我意識を経格子(たてごうし)に.欲望への愛着を横格子にして人の心を牢獄の中に押込め、人の心を貧しく殺伐とさせてゆく処。

井の中の蛙は大海を知らぬように、水中の魚は狭い水中を世界だと思っているように、心の牢獄に捕われている囚人達は、牢獄を世界だと勘違いしているのだろうか、すぐ横に自由で穏やかで美しい安らぎの天地があるというのに.自由な世界を.見る事も.感じる事も.味わう事もなく.囚われの身のまま流れてゆく…
●解脱そして解放
解脱とは別次元や一つの状態に安住する事ではなく、過ちを犯すかもしれない一つ一つに対して不断に気付かっている事であり、自分を律して.一つの自戒を守ることが.一つの解脱でもあり、涅槃(ニルヴァーナ)とは.不断に注意を怠らずに実践してゆく事により顕現する.平安.愉悦.静逸.歓喜.幸福である。
人間の根源的な欲望を完全に滅する事など出来ない。
しかし修養してゆく事により、常に気を付け.それらを捨て去り.それらへの愛着.束縛から解き放たれ.それらを回避する事により、涅槃(ニルヴァーナ)に到達する事が出来る。
この絶え間ない行為、そのものこそが仏道なのである。

如来、憐れみ法を説く

心の次元

思考とはコンピュータ的(物質的)なものであり、意志.衝動とは心的次元により形成されるものである。
この世界(現象世界)は一源の根源エネルギー(梵)世界(彼岸・安定世界)の一点に生じた揺らぎ(インフレーション・不安定性)により、途方もなく高密度な膨張(ビッグバン)により形成された世界(宇宙)であり、今も尚.加速度的に膨張を続けている。
不安定性の発生により生じた安定化運動でもある膨張とは、同時に次元の分裂でもあり、この世界(現象世界)は次元分裂により発生した11の次元により形成されていて各次元の形状により全ての運動は形成されている。
全ては不安定性の安定化運動である。
この世界の全ては途方もなく膨大な根源のエネルギー(梵)の各次元における流動であり、膨張により[空間的次元]を形成し、根源エネルギー(梵)の凡そ4パーセントが物質化(色化)し質量の発生により[時間の次元]を形成し、[相対的次元]により各種エネルギー(重力.反重力.電磁力.核力.弱い力)を形成し.根源エネルギーと相対的次元の関係性により、根源エネルギーが素粒子(クォーク)を形成し.素粒子の集まりにより原子(陽子.中性子.電子.光子など)は形成され.原子の集まりにより分子は形成され、分子の集まりにより物体は形成され、全ては一源の根源エネルギー(梵)の振動パターンにより形造られているのであり、それは[次元の形状]がエネルギーの振動パターンを決定付け.運動性.性質.形状を形成させている。
『全てのものは因果律(縁起)に随い、条件により生起し、条件により消滅している。生起する性質のものは、同時に消滅する性質のものである』
【 次元構造 】
3次元  縦.横.高さ (マクロ)
4次元  +時間   
5次元 重力を形成する形状の次元
   (時空に結びつかない形状の力)
6次元 反重力を形成する形状の次元
(膨張)
7次元 電磁力を形成する形状の次元
(光の次元)
8次元 強い力を形成する形状の次元
(核力)
9次元 心的エネルギー(生命エネルギ ー)を形成させる形状をした次元
10次元 世界(大宇宙)を包み込む次元
11次元 ミクロから宇宙に広がる次元

●この章は、路傍の如来の説法に於ける「輪廻」の補足資料として執筆。 路傍の如来の説法(晩冬の集い)において路傍の如来が話された、叡智によりこの世界の実相を明確に洞察された釈迦尊(ブッダ)が旧来のバラモン教などが説く魂(霊魂.霊体)の輪廻を否定なされながらも輪廻は肯定され仏典にも数多く残されている逸話を妄迷な盲目的な信仰(バラモン教など)から、蛇が旧来の皮を脱ぎ去るように真実への脱皮を促した釈迦尊(ブッダ)の輪廻の改革的な教えを旧来のバラモン教的信仰を礎に興った大乗が、釈迦尊(ブッダ)が垣間見られた真実の輪廻を旧来の魂論的(バラモン教的)な輪廻思想と混同して捉えてしまった事は否がめず、空の思想を拡大解釈した半端な者達の手により釈迦尊(ブッダ)の説かれた輪廻をも方便だと捉え、因果律を再誕を含めて説かれる因縁の縁起(十二縁起)を蔑ろにし釈迦尊(ブッダ)の真意から逸脱した得体の知れないものへの信仰を大きな船だと宣いしは疑問を呈する。 ●では生命とは何か、輪廻するものは何か?つまりは業(カルマ)とは突き詰めて言えば何か?という問題でもあり、その為に彼の世を含めて此の世界はどの様に成り立っているのかを解説するものである。 先ず五集合要素(五蘊)に説かれるように精神(心)を含めて生命とは何かと言えば、四つの力(重力.電磁気力.弱い力.強い力)の作用により身体形成させるDNA.RNA(設計図)に随い構築され形成された物質的化学的要素と九次元の形状により決定付けられたエネルギーの振動パターンにより生じる心的エネルギーの性質による集合要素こそが生命体であり、以前から説かれるように輪廻するものとは魂や霊魂というような固定的.実存的.永遠的なものではなく、9次元(心的エネルギーを形成する次元)の意志.運動性.性質形成力(業・カルマ)であり物質的要素に結び付けられた状態を生と呼び.結び目を解かれた状態を死と呼び.次の何かへと結び付けられてゆく心的次元(9次元)が輪廻であり、エネルギーは肉体的要素と心的次元との結合で絶えず供給されエネルギーの振動により、物質的(電気的.化学的)なコンピューター的要素である認識.識別.思考(CPU).記憶(メモリー)要素と衝動.意志.感情.表象という心的要素により、意識(概念)を生じさせる。故に輪廻してゆくものは心的次元(九次元)であり、性質.運動性.電荷である業(カルマ)なのであるつまりは微生物から人類までが違った形状要素を含む同じ種類の次元を有し、結びつき生体となり結び目が解かれて死体となりながら次の何かへと成り続けるのである。つまりは微生物の心的次元は微生物としての物質的な機能.能力との集合要素を形成し、人間の心的次元は人間としての物質的(色)な機能.能力と集合要素を形成するのであり、その次元の要素(i意志.性質.運動性)により各々の生命体へと輪廻してゆくのである。実存的.主宰的.実相的.永遠的な魂.霊魂.霊体などではなく次元的要素として意志.性質.運動性が輪廻してゆくのであり、次が何であり因果律(縁起)に遵って新たなる感覚器官.思考域.記憶域などの機能.能力と結び付いた集合要素により貴方は再び出現するのである。 ●意識(主観)とは、物質的要素(色).感覚的要素(受).識別記憶要素(想).意志要素(行)に依存して生じるのであり、それらから独立して単独では意識は生じない。 「意識は条件により生起し。条件のない処には意識は生起しない。」 ●肉体的(物質的.電気的.化学的)な要素とそれに結び付いた心的エネルギー界(九次元)の結合による五集合要素への執着が輪廻を生じさせる芽となる。

全ては常なく変化してゆく

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全ては常なく変化してゆくもの
人間には[運命の流れ]と言うものが本当にあるのでしょうか。

先ず[運命]とは、何を指してを言っているのかと言えば、[命を運ぶ事]であり.決して外的な力によって.望むと望まないとに関わらず.運ばれてゆく[定め]のようなものではなく、[運命]とは変えて行けるものなのです。

人それぞれに.この世に生まれてきた時、持って生まれてきたものがあります。
その持って来たものにより、荒い流れを流れてゆく人が居れば、穏やかに流れてゆく人もいますし、望む通りに生きているような人が居れば、何をやっても思い通りに運ばないような人がいるのです。

人生とは[選択]であり、多くの分かれ道があります。その分かれ道に差し掛かった時にどちらの道を選ぶのかという一瞬一瞬の[選択]の連続の上に人生があり、良い方の道をを選んでゆけるか、悪い方の道を選んでいってしまうかにより、人生は天と地ほどの差となって現れて来るのです。

今すでに自分の力ではどうしようもない問題に直面している人、今は未だ大きな災厄などに見舞われてはいないけれど、自分は不運や不幸なほうだから、やがて大きな不運や不幸に直面するのではないかという思いが拭い切れない人、自分はいつも間が悪く今の自分の運命の流れを.良い運命の流れへと変えて行きたい人は、ではどうすれば[運命の流れ]を調え、悪い運命の流れを変えて.良い運命の流れの中を生きてゆく事が出来るのかと言えば、神仏や得体の知れない霊力に縋り.拝む事でも.奉祀する事でも.霊言.予言に従う事でもなく、無明(無知)で盲目的な今の自分に気付き.真理(真実.現実.事実.実相)に目覚め覚醒し.虚妄を乗り越え超越してゆくだけです。

正しく眺め..正しく考え..正しく気付き..正しく行ない..正しく学び..正しく理解し..正しく律し..正しく変わってゆく.だけなのです。

一見、簡単にも思えますが、永年をかけて造り上げてきた自分というフィルター(色メガネ)を通して物事を選択して、その選択の連続の上に幸不幸.良不運.足不足.苦楽.快不快....があり、その中には思い込み.考え違い.錯覚.感情.情緒.主観..暗示.無知.常識感などから多くの影響も受けているのです。
今の自分を良い運命の流れへと変えてゆくには、正しい指導者による.正しい指導が欠かせません、まして既に.偏った考え.間違った考え.愚かな考え.妄想的な考えに染脳(洗脳)されてしまっている人は、先ず.それらの汚れを洗う事から始めなければならないのです。
                                                  多々方 真如

☣既に.毒華(ドゥッカ)が.開華して.苦しみ.悩み.心痛め.怖れ.儚み.哀しみ.惑い.迷える恵まれなかった多くの方々や、間違った心の使い方から発症する難病.業病.精神疾患から救われ、悪い運命の流れを.良い運命の流れへと超越させ、元気に.楽しく.明るく.幸せに生きていらっしゃる方々がいます。